カテゴリ:過去の事( 12 )
KS宣告から1年半経った頃の日記
25年前のKS宣告直後の日記が出てきた

以下原文そのまま <>は補足を追記

=== 2.Apr.1988

 久しぶりに、このノートを読み直し書きたくなった。
きのう、1ヶ月ぶりに東京へ戻る。中島みゆきの歌をききながら、散乱した部屋の中で書いている。なつかしさ、くやしさに浸っている。



 出張中に読んだ雑誌の中で、そのこと<(KSによる)無精子症>ひとつが離婚の正当な理由になると知って、もう生きる事が無意味なように考える。

病院へ行って検査してもらっても、絶対いい結果なんて出ない。

 こんな気持ちで仕事なんかできない。出張中、何度も<自殺のために>薬を飲もうか考えた。
俺だってこれで終わりたくないもんね。

 体がだるくて、でもみんなもそうだからそうなはずだから、一人だけ甘えてもいられないし、人が少ないから抜けるわけにもいかず、やはり今度も生きのびてしまった。自分のペースを未だにもてずにいるため、周囲の人に合わせるようにいつのまにかなってしまい、自分の仕事ができずにいる。その時だけ仕事をして怒られて、で、自分でも原因がわかっているもんだから、怒られこと予想できていて、全然効かないんです。またやってしまう。

 やる気がおきない。全然。生きる気力さえない。決断力のある人間なら、あっさり死んでいるかもしれない。ただ、なんとなく食べて生きてます。


 今年に入って、体がだるい性もあるけれど、仕事なんかどうでもよくて、でも、どうでもいいままじゃぁ、やっぱりすまないし。
とりのこされていく。


 あんなこと<週刊誌の記事>を平気で書く人がいて、世の中もそうなっていて、誰が悪いんでもなく、そのことで傷つく人が大勢いたりする。そんなもんかなぁ。

===

 25歳でKSを宣告され、その1年半後。26歳です。
周囲では、同期が仕事を覚えてどんどん自分を追い越していくような中で、まだまだ、絶望の淵を歩いている頃の日記です。

 体のだるさと戦いながら、忙しい仕事の合間で、死ぬ事しか考えていない自分の、長い長い暗い状態のものです。
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by 47__xxy | 2011-09-09 09:28 | 過去の事
25年前のKS宣告直後の日記が出てきた
 私は今まで日記を書いた事がないと思っていた。どうせ書いても続かないからなんだけど。

 で、今日、押入れの中を整理していたら、学生時代から20代後半(1981-1989年)の日記が出てきた。

 で、クラインフェルター症候群(KS)を宣告されて2,3週間めぐらいの日記が出てきましたので公表します。

以下原文どおりです。漢字変換、句読点、改行、すべて原文のまま。

===   1986.Sep.29
言われて2~3週間経った。
まるで夢のような、それでいて、もう知っていたかのような、不思議な感じがして。
どうしたらいいのか、何をすればいいのか、急に周囲の事すべてが
つまらなくなり、白けてきて、さめてきて。
どうにもなりはしないのに、何に助けを求めたらいいのかわからなくて。
助けを借りずに生きてゆかなくてはいけないのだと、自分に言いきかせ。
ヨボヨボになっても自分一人で生きてゆかなくてはいけないし。
それがあたりまえだと思ったりもする。

生まれてきただけ幸せだと言われ。
厳しいけど、その通りかもしれないと思い。
一人になると、そのことばかり考える。電車の中で涙が止まらなくなることもしばしば。

世の中にいっぱいいると、医者に言われ。
人は人、他人は他人。要するにオレはどうなんだと思い。

中学・高校の頃、将来は、適当な時期に結婚して、子供が生まれ。
大金もりっぱな家もいらないから。なんかそんなふうに生きていきたい。
生きていけたら充分だと思ったが。
根底からくつがえされた。

MYちゃんもMHちゃんも、なんたってTK君がかわいくて。子供が好きだ。大好きだ。
電車でお母さんにおんぶされてねむっている子供、公園で土いじりしている子供、デパートで泣きじゃくっている子供、夕暮れに、ご飯のしたくをしているお母さんと、子供がじゃれあったり。でも、無理なんだ。100%。

他人が能力を持っていようがいまいが、関係ない。でも、自分自身が100%だめだと言われたら、くやしい。それも先天性だなんて。
何にあたればいい訳? 何をうらめばいいんだ。
何でもいい、あたりながらうらみながら生きていくのもいいかもしれない。
でもあたれない。うらめない。

仕事なんかどうなってもいい。
どこかへ行きたい。じっくり考えたい。何を?

女の人がいればって言ったって。よけいむなしいだけかもしれない。

わかってくれる人がいるといっても、それは理想であって、誰も安易に考えている人はいない。

わかってくれて、一生を苦しんで悩んで生きていってくれる人、そんな物好きがいるとは思えない。そんなお人よしがいますか。
同情はいやだ。そういう人とめぐり会ったとして、何らかの形で断ってくるのが普通のような気がして、それでもうらまないから安心しな。

何かしたい。何をすれば救われるのかわからない。
どうすれば。
===
※MYちゃん、MHちゃん、TK君は、学生時代の下宿先の子供で小学校前ぐらいの子供たちです。


 今、読み返して、この絶望感の中にいる自分に、今の自分は、何も声をかけてあげられない、って思った。

 優しいな、俺。母親を恨まないと宣言しているね。こんな状況でも。優しいな俺。

 もう、涙が止まらなかった。

 でも、大丈夫なんだよ。

 「そんな物好きやお人よし」がいて、結婚できているんだよ。

 そうなんだよ。少なくとも10年後立ち直って、子供がいる人と結婚して、14年もラブラブ生活が続いて、そして家内も子供たちも、よく理解してくれている家族にめぐり合えているんだよ。






 よく、いままで頑張ったよ、俺。

 今の自分が今の自分に言ってあげられる。今だから。
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by 47__xxy | 2011-09-04 11:36 | 過去の事
性欲
 KSでも性欲があるか、との問いがあるので、過去に遡って、どうだったかを振り返ってみることに。

★小学生まで

 未熟児と言われて育ってきましたが、そういうことには興味をもっていたと思います。ただ、晩熟(おくて)だったんだと自分では思うんだけど、好きな女の子はいたりする。初恋は小学5年生の転校生だっただろうか。同級生の大半は、その双子の転校生の長女を好きだったようだ。


★中学生

 ほのかに好きだった女の子はいたように記憶しているが、同級生の中でもそういう雰囲気が全くなかったので、その程度。下級生からラブレターをもらったことがあったけど、同級生にはそういう文化がなかったので、突っ返してしまった。


★高校生

 1年生の時、好きな子ができた。クラスの中でかわいい子投票をしたんだけど、その子に〇をするとばれるので辞めた。その後、言い出せるはずもなく、2年生に。
下級生たちを含めた6人でのグループ交際が始った。このメンバーの結束は固く、実は、今でもお互いの安否を確認しあったり、何年かに1回ぐらいは会ったりもしている。

 3年生の体育の時間、計らずも射精をしてしまう。ロープだった。ロープによじ登ろうとした瞬間、やってしまった。おしっこを漏らしたのかと思ったが、そうではなかった。2度目の挑戦でも同じだった。でも、自分では、何が起きたのか分からなかった。あとで、それが、それだと分かった。

 3年の卒業間近になって自慰を覚えた。これもたぶん偶然。ちょっとはまってしまった。でも、女の子を想像しながらではなかった。
ムラムラ感は全く無かった。友人たちが、週刊誌を見ながら、この子が、あの子が、とかいう話に、全く興味が湧かなかった。話もせずにどうして好きか嫌いかがわかるのか、って思っていた。これは、まぁ、今も同じだけどね。

 3年生の卒業間近になって、1年生の時好きだった子にそれとなく打ち明けた。同じクラスで、席が近かった。

★大学生

 仙台の大学に。
 下宿中には、自慰は頻繁にしていたと思う。でも女の人を見てのムラムラ感は、ほとんどなかった。
学生時代に大学生同士で付き合った人はいない。高校時代の延長みたいな感じだった。
ほとんどが文通みたいだった。
高校のとき好きだった子が、なんと、私の両親の仲人で結婚、親戚になった。
どうにもならなかった。非常に複雑な思いで、身もだえした。

 卒業が近くなった頃、グループ交際の人とよりが戻って、会うことに。山の中で、やればできたのかもしれなかったが、そんな知識はなかった。

★就職

 東京へ。
 職場でも好きな子は現れなかった。

 働き始めて3年目、KSを知らされる。

 テストステロンの補充によって、自分の意思に関係なく性欲倍増で、押さえ切れなかった。相手をしてくれる人はいなかったので、自慰で解決。でも、してもしてもやりたくって、身体も心もズタズタになった。
何年か後に、再度挑戦をしたものの、結果は同じ。精神的に不安定になったため、補充をやめた。
今と違って、情報があまりになさすぎた。

 バブル崩壊の頃だったけど、まだ仕事はたくさんあって、死ぬ事ばかりを考えながら惰性で仕事をしていた。

 あるとき、シングルマザーと出会う。子供がとってもかわいかった。もちろんお母さんも。
もう、結婚まで行きそうで、婚姻届まで書いたのに。。。
肉体関係にはなっていたが、どうしても、入れられないでいた。相手をいかせることはできても、自分ではどうにもならなかった。KSの葛藤だった。そういう、ちょっとのとっかかりが、結果崩壊に。

 あるとき、飲んだくれの酒癖の悪い後輩の女の子が、絡んできて、仕方がないので泊めてあげた。同じベッドで、背中合わせだ。でも、こちらは、性欲がない。その後、エッチには発展するのだが、直前まで、全くそういう気持ちがなかった。
酒の匂いをプンプンさせている状態でキスをせがまれた。仕方がないなぁとか言って、キスをした、その瞬間。私の中のDNAなのか染色体なのか、なんなのかが分からないけど、私の中の今までなかった何かのスイッチが入った。手が勝手に動いていた。自分で自分にそういうところがあることが信じられなかった。
でも、この子、結婚していた。旦那も知っている人。最後の最後、どうしても理性が働いて、その先には進めなかった。
 失楽園が流行っていた頃の事。その先にあるのは駆け落ちそして死しかなかったのは目に見えていたが、どうしても抜け出せなかった。結局、周囲に助けを求めた。「どうしても辞められない」。友人からの一言「いろいろあって大変だったからね」。この一言で、やっと抜け出す事ができた。

 この後。。。

 心配した周囲の勧めで結婚相談所に登録。KSで子供ができないことを隠しての挑戦だった。何人か2度目のデートまで行く事があったが、KSを隠しての結婚はしたくなかったので、それを伝えた。全敗だった。どうにもならなかった。

 精神的に不安定な状態で、仕事も満足に出来るはずもなく。。。でも仕事はしていたのだけれど、やはりうまくはいっていなかった。もう絶望感にうちひしがれていた。
何もかもリセットしたかった。できることなら。

 職を変えようと思って退職。無謀だった。そうして行ったパソコン教室で、今の家内と出会う。
運命的だった。KSを伝えた。子供が2人いて、もう子供は要らないっていわれた。
結婚して、KSの多くの問題が解決した。
エッチは、頻繁にしていたけど、最初、入れるのに、すごく時間がかかった。何日も何回もかかった。環境になれるのに時間が掛かるのだが、それも待ってくれた。

 相変わらず、他の女性を見てもムラムラはしなかった。

 そして14年目を迎える今。
自慰をすることもある。体調が優れないのでここんとこ随分あいているけど。
ちょっとだけ、ムラムラすることがある。男性ホルモンはかなり低いはずなのだが。

 まぁ、こんなところです。
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by 47__xxy | 2011-09-03 10:16 | 過去の事
過去の鬱の記事を探してみようとおもったら。。。
 前はどうだったかと、過去の鬱の記録(ブログ記事)を見ようと思った。

 給料明細から、2004年の1月~3月までということがわかった。

 前も仕事が原因で鬱になった。ついこの前のような気がしたが、随分前のことなんだなぁ。

 で、ブログは、どうやら、鬱から回復した後から始めたようで、全くそれらしい記事は出てこなかった。
残念。

  ブログ履歴。。。

   ①なかちゃんワールド 2004年4月~2008年10月
   ②なかちゃんわーるど 2008年9月~現在に至る
   ③ここ           2011年1月~現在に至る
   ④ここの前身      2010年11月~2011年1月(やむなく閉鎖、削除)

   もう7年もやっているんだなぁ。

 前の治療は7年も前だったんだなぁ。
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by 47__xxy | 2011-05-13 11:47 | 過去の事
性別違和感 ~その1~
 「自身の分身としての子供の成長を見ていくのが楽しい」と言った知人の男性の話を聞いて、あー、その感情が自分にはない、って思いました。
全くそれを重ね合わせて考えることができなかったのです。想像すらできませんでした。

そのとき、なんか違うのかも、って思いましたねぇ。


もしかしたら、元々、子育て自体をする体や心が欠落しているんではないかとね、思ったんですよ。
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by 47__xxy | 2011-02-20 21:13 | 過去の事
怖い経験
★小さい頃。警報器のない踏切で、貨物列車が近づいていたのに、気が付かずに渡ろうとした時。
すんでのところで顔を上げたら目の前に貨物列車が迫っていた。驚いて、震えが止まらず、暫くそこから動けなかった。目の前を通過していった。


★駅から自宅までの1キロメートルほどの直線の田んぼ道を歩いて帰る時に、雷が激しく鳴っていた。


★同じ道を、息ができないほどの強風が吹き荒れている状況で歩いて帰った。


★中学生の時、初めて訪れた町でユスリに会った。脅されて、殴られたりしてお金を取られた。
トラウマになってしまった。

因みに、今までで人を殴ったのはたった1回だけ。それも体が自然と動いてた。中学生の時、いじめられた時、逃げ場がなくて、とっさに手が出た。
そいつとは、今でも仲良しさ。

★雨で自転車のブレーキが効かないのに考え事をしながら、駅の地下道をこぎながら下ってしまい、直角に曲がるためブレーキをかけたのに、止まるどころか加速した時。
車止めをかろうじてかわした後、壁に激突。
骨が折れたと思ったんだけど、折れていなかった。
しばらく立てなくって、近くを歩いていた女性に助けられた。
全身打撲だったけど、病院にも行かずに帰宅した。4日ほど会社を休んだ。
だから、私は、骨粗しょう症とは縁がないと思っているんだけど、甘いかな。
立川駅の西側の地下道には、今でもタイヤ跡が残っています。因みに、自転車もボロボロになってましたね。

★会社で徹夜していて、ちょっと仮眠した時に、金縛りにあって、ふと目をあけたら、老婆が必死に私の首を絞めていた。
夢を見たのかもしれない。元々、霊感はないし、見ないからね。

★車の前をバイクに急に横切られたのでクラクションを鳴らしたら、逆恨みされて追いかけられた。
後ろから追い越し様に肘鉄食らわした後、いきなりハンマーで襲われた時。
暫く一般道でカーチェイスしたあと、対面し、お互いスピードを出して正面衝突する寸前に避けた。最悪、ぶつけてもいいかなって思ったけどね。
向こうも怖かったのか、そこで終わった。
もちろん、すぐに交番に駆け込んだけど、しばらく震えが止まらず運転できなかった。

★胆石の痛みで救急車で運ばれた病院が、何があっても手術してはいけないと言われる総合病院で、案の定、「♪手術手術手術♪」って楽しそうに当直の外科医に叫ばれた時。
こちらは,射たれた強力な痛み止めでの薄れゆく意識の中で必死に対応策を考えたのは言うまでもない。結局、検査だけで強引に逃れたんだけど、かなり不服だったらしい。病院長が必死になだめたらしい。手術は3つめの大学病院で無事完了。

★裁判のとき、相手に裁判所に仕事道具の刺身包丁を持ってこられた時。
裁判所の職員は手も出せずビビりまくり、こちらに、1回だけでいいから条件をかなえてやってくれと頼まれた。今なら、銃刀法違反で逮捕される状況だが、その当時はそうならなかった。ふざけた話だ。
ヤクザより怖いと言われる人で、盗聴に怯えたり、駅のホームでは端を歩かないようにしたりと、半月ほど胃が痛かった。

★無線のアンテナを林立させながら雷雨激しい橋の上を走った時。
ピカッドンって、両サイドに隙間なく落ちてた時は、本当にヤバかった。ヤバいよヤバいよって言いながら運転してました。

★帰宅途中、新宿駅で飛び乗った車両は、イカれた兄ちゃんが乗ってた場所で、ちょうど、兄ちゃんが、俺はナイフを持っているんだぞって息巻いているところだった。ヤバいなぁとか思って車両の中を移動したところ、それが気に入らなかったらしく、追いかけられた。挙げ句に、刺したろか、って言われたときは、ヒヤッとしたね。結局、何も起こらなかったんだけどね。


まぁ、随分と鍛えられましてよ。
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by 47__xxy | 2011-02-06 12:15 | 過去の事
時代 ~中島 みゆき~
5年前のブログからですけど。。。

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ず~っと昔に、この曲をカラオケとかで歌っていたときがありました。


今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど

そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう


 どうにもならなくて、まさにこんなときに、この歌と出会って、「今日の風に」吹かれて、流されていた時代がありました。
いつか、本当に、笑って「そんな時代もあったね」って言える日が来るのを信じて。。。で、その日は来たのです。10年近く経った頃に。そうして、前向きに考えることができるようになった後、今の家内と出会ったんです。

 今は、「そんな時代もあったね」って笑って話すこともなくなりました。忘れていて、○○歳ぐらいのとき何やっていたっけ、って思ったときに、ふと、思い出すことはあります。
今は、もうそんな感じですね。
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by 47__xxy | 2011-01-16 09:10 | 過去の事
結婚してもしばらくは子供をあきらめられなかった
 結婚してしばらくの性生活が順調だったこともあって、いくらKSで無精子症と言われていても、調べたのが昔だったから、もしかして、とかちょっと期待していた。

家内も「なかちゃんの子供ができたら生みたい」とうれしい言葉を言ってくれていた。

だから、家内が生理になると、一応残念がってみせたりもしたが、やはり無理だよな、って思った。

でも、それも、結婚してから2年ぐらいまでだった。

そのうち、定期的にくる生理で、家内の体調が安定していることの方がうれしくなっていった。
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by 47__xxy | 2011-01-16 00:13 | 過去の事
子供を嫌いになってしまえば・・・
 クラインフェルター症候群で無精子症で自分の子供を作れないのだから、いっそのこと子供を嫌いになれば、子供を作れないことなんか忘れられるんじゃないの、という安易な気持ちが沸き起こり、しばらくの間、嫌いだ、嫌いだ、とか無理に思っていたことがあった。

 でも、無理だった。

 子供は無条件にかわいかった。特に赤ん坊なんかは。他人の子供を見たら、こっちは自然と笑顔になっていたり、目があったりしたものなら、友達になろうとして、にっこり笑ってみたり、手を振って気を引こうとしたり、とても嫌いになんかなりそうになかった。

 3ヶ月で、あきらめた。

 自分の心に嘘はつけなかった。

 クラインフェルター症候群で無精子症で自分の子供を作れないけど、子供が好きだっていいじゃんって、思った。

たとえば、そういうこと。
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by 47__xxy | 2011-01-14 21:21 | 過去の事
君の将来には居られない
 市川拓司さんの「今、会いにゆきます」は、映画にもなって、とても有名な作品です。
その中で、主人公の「たっくん」を急に襲った病気のために、スポーツもやめて、大学も辞めて、病院を巡るけれど、どこでも原因がわからず、たっくんは、部屋で何もできずにゴロゴロしているシーンが出てきます。
そして、付き合っていた彼女の元から、「今なら去れる。このまま静かに去っていこう」と決意するのです。

 私がクラインフェルター症候群を分かったときは、付き合っている人はいませんでしたが、それまで付き合った何人かの人と、うまくいっていなくて良かったと思いました。あの映画のシーン、そのままでした。



 いくらどんなに好きなあなたでも、こんな不具な私を付き合わせるわけにはいきません。

 今ならまだ間に合うから、これで、終わりにしようね。

 理由を詳しく言いたくないからね、自然にね、いなくなろう。。。

 あー。俺の人生は、どうなってしまうのか。

 一生、伴侶もなく、もちろん子供もできないから、天涯孤独の人生って。。。つまらない、さびしいだろうなぁ。



 いっそのこと・・・。





 そんなことを考えていた8年間でした。
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by 47__xxy | 2011-01-10 23:45 | 過去の事



通称:なかちゃん。★東ニ病気ノコドモアレバ…西ニツカレタ母アレバ…南ニ死ニサウナ人アレバ…北ニケンクヮヤソショウガアレバ…★弱い立場中心の世の中に @WofNaka
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