田舎への思い ~あの土地は良い土地だ~
私は、1961年の冬に実家で生まれています。
兄はその2年前に病院で生まれていますから、自宅で産婆さんに取り上げられるということは、もうあまり当時はなかったのではないかな、って思います。 で、兄は中学卒業後に親元を離れて、県庁所在地にある県下の一流高校に入ります。その後順調に世の中に出て行きます。私は、地元に残り普通高校に入学します。 早くから地元を離れた兄と、ずっと田舎に残るだろうと期待された私とがいるのですが、たった2年ほどの違いだけではなくって、私の性格などや、それまでの生き方がそうさせたのかと思いますが、やはり故郷一番でした。 「実家で生まれたから田舎が一番」をずっとずっと譲らずにきたのです。 でも、大学を卒業後、親の期待を見事に裏切って上京します。 学生時代に信州旅行するのに新宿駅周辺の雑居ビルなんかを見て、一緒に行った友人と、「こんなところには絶対に住みたくないね」と言ったその1年後に、私は上京したのです。 その後も休みの度に帰省しました。 学生時代をすごした仙台のときも、夏休み、冬休みはほとんど帰省していました。 だから、仙台の七夕を見たことがありません。 仙台に4年もいて、仙台の七夕を知らないっていうのは、相当の偏屈に見えますよね。 そして父が逝き、一昨年の秋、母が逝きました。 もう、実家に戻るというのは事実上不可能になっていました。 今の家族も、田舎、とは次元が違うと感じるし、自分自身が、単に過去の記憶の中での田舎への想いしかなかったからです。例えば、天変地異が起こってどこにも住めず、もうここしか残っていない、というのなら住むかもしれない、ということでした。でも、田舎への思いというのは捨てられるものでもなかったのです。 そこで、こう考えてみたのです。 ・母の先祖は実は東京と田舎を行ったりきたりしているようだ。 だから、私は今度は田舎から東京に移っただけ。 ・男のロマンとして一生のうちに家を構えるというのはあるけれど、 この家は父のロマンであって、自分が築きあげたものではない。 ・確かに良い土地だ。 地下の岩盤が厚いために震度7でも建物への影響がない。 水不足の年でも途切れない清水が湧く。 風の影響もない。 今回の震災でもかろうじて波は来なかった。 日当たりも悪くない。 見通しも悪くない。 でも、所詮、200年ほどのことで、ずーっとずっと前から住み続けた ところではない。 そう考えてみると、もう、田舎への執着は消えていました。 確かに帰省すると、宇宙戦艦ヤマトの艦長の台詞ではありませんが、 「どれもみな懐かしい」とは思うのです。 だから、昨年の震災の時も、誰も住んでいない実家を周辺に住んでいる 親戚の人のために使うのは理にかなっていたのでした。 「この土地は、親類に返そう。先祖に返そう」って思ったのでした。 もっとも、遺産相続によって自分の手からは離れていますけどね。 しかし、誰がどういう経緯でこの土地を見つけたのかは知りませんが、本当に良い土地なのですよ、あそこは。よく見つけたなぁって思います。永遠であってほしいと思います。 以下の写真は、2009年5月に実家の上の山の途中から田舎を撮ったものです。 1枚目が真東かな、徐々に南に目を移していっています。 1枚目の左の端っこに実家の屋根が見えます。 ちなみに、3枚目の遠くに見える家並みは、残念ながら今はありません。
by 47__xxy
| 2012-04-14 20:05
| 日記
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