何故、私が性同一性障害にならなかったか
私が、もし二十歳若かったら、という記事を以前書きましたが、何故、私が性同一性障害にならなかったか、というお話です。
今までの記事の表現を変えただけかも知れませんが。 この世に生を受けて五十年。小さい時から、女の子だったらよかったのに、と言われながら育ったんです。まず、自分が性的に違和感を持っておらず、周囲から思われていたところが違うかな。 なので、小さい時に、結果的に女の子っぽく見えてしまった写真があり、その度に女の子に見えると言われること、それが嫌だったんです。 では、自分がどうだったか、ですが、実は覚えていません。ただ、男の子っぽいとは感じていなかったような気はします。でも、それは、あんたが、未熟児だったと、小さい時から言われ続けてきたからで、いずれは男の子になれるのだと固く信じていたんです。 ところが、なかなか待てど暮らせど男の子っぽくなっていかないのです。それはそうです。クラインフェルター症候群だったからですが、それが分かるのはずっと先のことです。 今まで聞いた経験談とは違うでしょう。自分よりも周囲が望んだなんて。その後も母からは、ずっと、女の子だったらよかったのにと言われ続けるんです。 もし、その頃に性同一性障害という言葉や当事者がニュースになっていたとしても、果たして、自分がそれを望んだかどうかはわからない。それも理解の範囲でしょ? そうして社会人になったある日、今から二十五年前、二十五歳の時に、クラインフェルター症候群と分かるのです。 でも、それでもまだ、その頃には性同一性障害という言葉はなかったと思われるので、自分がその方向には行かないんですね。 また、クラインフェルター症候群の意味も情報も専門的なものしかなく、インターネットもなかった時代ですから、せいぜいわかったことは、子供を作れない、無精子症ぐらいだったのです。 でも、子供を作れないことだけで私自身をどん底に落とすのは十分だったのです。 それから、二十四年経った昨年末まで、クラインフェルター症候群の実体を知らないまま、自分に起きる様々な症状が、自分固有の特殊なものとして生きてきたのです。 確かに、薬や臭い、音に敏感とか、クラインフェルター症候群とは違うかもしれない症状は特殊かもしれないけど。 途中、自分の性違和感を、『自分らしさ』というものにかなり強引に置き換えながら。 そうして今、クラインフェルター症候群の某(なにがし)かを知って、自分が身体も心も中性で、性同一性障害とは違う性別違和の状態だと知るのです。 十四年前にシングルマザーと出会い、結婚する辺りの話はもうご存知でしょう。 そうして今、自分と同じ年令の人が性同一性障害で社会にカミングアウトし、手術をするのを目の当たりにして、自分がこのままでいいのかと、自問自答したり、色々と動いてみたり、動揺してしまっているわけです。 また、昨年からの様々な事件で、体調を思い切り崩していて、これを打開するために、なんらかの治療が必要と思った時に、女の子側の治療がいいのか、男の子側の治療がいいのか、迷う訳です。でも、性同一性障害でなければ、女の子側の治療はできないというような制約があったりして、揺れているのです。
by 47__xxy
| 2011-07-16 04:57
| LGBT&I
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